TOP目利きや!8>第5回 村松さん 1/4

目利きや!8

吉田豪

吉田豪

1940年、東京生まれ、清水みなと育ち。作家。
1982年『時代屋の女房』で第87回直木賞受賞。
1997年『鎌倉のおばさん』で第25回泉鏡花文学賞受賞。
そのほかの著作に『私、プロレスの味方です』
『俵屋の不思議』『アブサン物語』
『百合子さんは何色−武田百合子への旅』
『幸田文のマッチ箱』『夢の始末書』
『帝国ホテルの不思議』 『残月あそび』など多数。


−−この企画はおすすめのアルバムを8枚ご紹介いただくのですが、ちなみにこれまで出ていた方はこんな方々です(と、これまでの取材対象者リストを出す)。

村松 全員知ってるよ。また凝ったメンバーだね、凄いね(笑)。

−−あはははは。

村松 太田(和彦)さんには直接お目にかかったことはないけど、僕が金沢に講演で行った時に、お電話を頂いたことがありましたね。タイミングがあわずで会えなかったんだけど。

村松 で、この谷川(貞治)さんは、ほら、ターザン山本さんの舎弟だから(嬉しそうに)。

−−そうですそうです(笑)。

村松 あと、宗像(和男)さんにはいろんなものを紹介していただいたりね。

−−確か宗像さんは、村松さんがクレイジーケンバンドに興味があるということを聞きつけてアプローチされたんですよね。当時、宗像さんはクレイジーケンバンドを担当されていたので。

村松 どっか下町のキャバレーを改装したような場所で、糸井重里や南伸坊なんかとクレイジーケンバンドのライブに行ったの。で、イトイに「これ、イトイ流にマネージメントすることできる?」って聞いたら、「いやー、これは無理だね」なんて言うの。で、イトイが無理な狭いゾーンってことは、俺は絶対に(クレイジーケンバンドと自分が)繋がると思ってさ(笑)。

−−わはははは! まぁそこは糸井さん村松さんの独特の関係の物言いですね(笑)。今回は村松さんに取材できるってことで、 僕にとっては夢のようなんですけど、あのー、厚かましくも僕の話からしていいですか?

村松 どうぞどうぞ。

−−僕は以前『紙のプロレス』という雑誌の編集者として、(発行人の)柳沢忠之さんにくっついて行って、村松さんにお目にかかったことがありまして。

村松 ああ、そうですか。この頃すでにプロレスのことは詳しくなくなっちゃってたんだよね。

−−でも、『紙のプロレス』ではアントニオ猪木さんや前田日明さん、あとはK-1についても語っておられます。

村松 K-1のことも喋ってる?

−−はい。で、色んな御縁があって、今日、村松さんに取材させていただけるようになったわけですが、なんか村松さんへの取材が決まってから、 偶然にもかつての『紙のプロレス』編集部の人間や前田日明さんと十数年ぶりに再会する機会があったりして、妙な因縁を感じています。 ちなみにターザン山本さんはいまこうなってます(と、ピンクのジャケットを着ているターザンの写真を見せる)。

村松 ああ、こうなっちゃったんだ。こうなっちゃったは失礼だね(笑)。でも俺、山本さん、あの時本当に死んだと思ってたくらいだからさ。“プロレスの味方”は失格だね。

−−へ? なんでですか? 山本さんの死亡説なんてありましたっけ?

村松 ほら、あの本があったじゃない?

−−あーーー! ダブルクロスから出た『生前追悼ターザン山本!』ですか!(笑)。

村松 本当に死んだと思って猪木さんにそう言っちゃったんだから。取り消すのが大変で(笑)。

−−まぁ生前追悼というシャレだったわけですけど(笑)。

村松 まぁあの人の場合はなにがあってもおかしくない(笑)。

−−確かに(笑)。

村松 いやぁ、僕は一度すれちがうみたいに会って……。

−−(遮って)有楽町で山本さんに会われたんですよね?

村松 そうですそうです。で、歩いてたら山本さんが「村松さん?」って声をかけてくるわけ。でも近づいてこないのよ。こっちが忘れてると困ると思ってだろうけど。

−−あんなキャラクターのくせに、自分が忘れられてるかもしれないと思ってるんですね(笑)。

村松 それで「ああ!」って言ったら、いきなり「0422××××××」って言うわけ。

−−なんですか、その番号?

村松 それ、僕の家の電話番号(笑)。

−−わはははは!!!

村松 らしいなぁと思って(笑)。

−−電話番号を暗記しているというアピールですか(笑)。

村松 それで「また電話していいですか?」って言って。

−−でも近づいてこない(笑)。

村松 山本さんとは縁があってね。ある時期、(『週刊プロレス』を辞めてから)山本さんが何となくコケにされてたじゃない?

−−物凄くされてました(笑)。

村松 でも、山本さんが『週刊プロレス』で果たした役割は大きかったんだよね。

−−そりゃ、もちろんそうです!

村松 あと、山本さんとはパキスタンへ一緒に行ってね。

−−1984年の新日本プロレスのパキスタン遠征ですね。

村松 僕と山本さんは同じ部屋だったんだよね。で、山本さんは食あたりで具合が悪くなって、向こうの怪しい医者に、お尻に注射されたりしてさ。

−−わはははは!

村松 山本さんとは色んな縁があって、最初の結婚式も行ってるし。仁香ちゃんの時。

−−あ、2回目ですね。

村松 仁香ちゃんは2回目なんだ? そうですか。仁香ちゃんはいいと思ったんだけどねぇ(笑)。

−−わははははは!

村松 その後、鈴木さんという方から手紙があってね。

−−ええ!? 仁香ちゃんを奪った、山本さんの元部下の鈴木記者ですか?

村松 そう。仁義を切るような手紙だったと思うけど。

−−いまや山本さんはそれをネタにテレビに出て、勢いを盛り返してきてますよ(笑)。で、早速本題ですが、こうやってホームページの取材ってことなんですけども、自分でオファーしておいてなんですが、村松さんとホームページとか、村松さんとインターネットなんていうものが全然イメージに合わないですね(笑)。

村松 僕、携帯も持ってないからね。パソコンなんてやらないし。インターネットなんて見当もつかないジャンルだよね。あと、車の免許も持ってないから事故も起こさない(笑)。

−−あはははは! 「ワイパーが気になって運転ができない」ってエッセイで書いておられますもんね(笑)。

村松 そうそう(笑)。

−−で、事前に送っていただいた8枚なんですが、僕がこの中で自分で持ってるのがオーティス(・レディング)とエルビス(・プレスリー)ぐらいで、 名前も知らない人もいるというありさまなのですが。

村松 いやいや。

−−広沢虎造さんなんて1899年生まれですけども、村松さんの世代の方は普通に聴かれていた感じなんですか?

村松 いや、凄く少ないでしょ。僕の友だちでも浪花節とか言ってるのは、ホントにクラスに一人か二人。そういうヤツと仲良くなったりしたんだけどね。それに、僕はばあさん育ちだったり、あと生まれが清水なんですよね。で、虎造の得意なのが清水の次郎長で、それで戦後の浪花節が全国区になったんですよね。で、浪花節の中では、いわゆる正統派じゃなくて、いわゆるエンターテインメント的な浪曲を始めたっていう感じだった。

−−へぇー。

村松 でも日本って人気が出ると軽んじられるでしょ?

−−それはありますね。

村松 人知れずひっそりやってるうちはいいんだけど、とりあえず映画にも出たり、ラジオなんかでも人気が出ると、虎造のものまねをするって人たちなんかもいっぱい出てくるわけですよ。

−−へぇー。

村松 僕らのおじいさんなんかの世代だと、銭湯で浪花節を唸ってるような人もまだいてね。虎造節は楽だからって感じで(笑)。

−−とはいえ、いくらエンタメ系でもあまり子どもが聴くというものではなかったんですね。

村松 そうですそうです。僕らの子供の頃に浪曲を知ってるっていうのは、ちょっと渋いガキなんですよ(笑)。

−−でも、虎造さんの時代ですら、浪曲が世の中と接点を持つために、ちょっとエンタメ系に針を振ったりしたわけですよね?

村松 そうだと思いますよ。だけど、前にね、テレビの取材で、パンソリ(朝鮮半島の伝統的民俗芸能。19世紀に朝鮮で人気のあった音楽であり、口承文芸のひとつ)を聴きに……というか源を探りにっていうんで、韓国の全羅道に行ったんですよ。あそこがパンソリの発祥の地ということで。それで、ソウルで合流した有名なパンソリ歌手と一緒に全羅道まで旅をしたんだけど、パンソリを唄うために一番最初にすることは、地声を潰すことだと知って。

−−はぁ〜〜〜。

村松 それを聞いた時、「浪花節と同じだな」と思ってね。だから、はたして浪花節が日本の発祥なのかもわからないなぁっていう。

−−まさか韓国のお話になるとは思わなかったんですけど、ちょっと前田日明さんの話をしていいですか? こないだ前田さんとお会いして、雑談してる時に「今度、村松さんとお会いするんです」と話したら「村松さんとなんの話をすんの?」「村松さんと音楽の話をするんです」「村松さん、どんなん聴いてんの?」「村松さんはエルビスとか虎造さんとか挙げてらっしゃいます」って言ったら、前田さんが「俺、虎造全集持ってるよ」って言ってて。

村松 ほう。

−−「えっ、なんでですか?」って言ったら、お父さんと藤原組長がそれぞれ浪曲がお好きで、その影響で聴いてるとおっしゃってたんですけども。

村松 なるほどね。それはお父さんから引き継いだんじゃなくて、前田さんが買い揃えたの?

−−はい。自分で買ったみたいです。

村松 僕らはそういう大げさなことはなかったんだよね。要するに、浪花節は聴いてたけども、じゃあ虎造に物凄くイカレちゃったとか、その意味がわかっていたとかじゃなくて、ただ時代の中に広沢虎造がいたってことなんですよ。だから、僕なんかはレコード買ったのは、ほんの10年前ぐらいじゃないかな。

−−あ、そうなんですか。

村松 それでも我ながらよく買ったと思うぐらいですよ。小説を書くにあたって、いろいろと昔を思い出してて、清水のことなんかも書くんで、レコードを2枚ほどを買っただけで。だから、今回の主旨がディスク中心ってことであれば、これは入らなかったかもしれない。虎造は単なる思い出なんですよね。

−−はぁ〜、なるほど。

村松 子どもの頃にお寺なんかに浪曲師が来て、近所のおばあさんなんかが聴きに行ってるとか、ラジオからドンドン流れてるとか、そういうことの思い出を確かめるための装置みたいな感じですかね。だから、よく、最近落語を好きになったら志ん生を全部揃えちゃったりする人いるじゃないですか。僕らの時代は周りにそんなことをしてる人は一人もいなかったし。だからわからないものはわからない。30年後にわかればいいとかね、そういうのが日本の古風な芸能の味わい方だったな。

−−30年後にわかればいいなんて村松さんの流儀って感じがします。いまは、大人買いみたいな言い方をしますね。「こっからここまで全部」みたいな。

村松 前田さんはコレクター的なところもあるし、本格的な凝り性でしょ。

−−凝り性ですねぇ。

村松 それほどじゃないんだな、僕は。まぁ、虎造が軽いのとおんなじように、虎造に対する僕の感覚も軽いんですよ。

−−ちょうどいい塩梅なわけですね(笑)。

村松 そう。だから、いい付き合いだと思って(笑)。

−−前田さんは車でずっと聴いたりしてるみたいです。あと、前田さんご自身も言っておられますが、ルーツが韓国で。

村松 そうですね。

−−そういうところが、さっきの村松さんのお話でも、無意識かもしれませんが繋がってくるのかなと思いまして。

村松 なるほどね。

−−お父さんが好きだから、藤原組長が好きだから、じゃあ自分も虎造を聴くっていうのが前田さん的なやさしさかなと思いました。

村松 あ〜。僕はね、じいさんは離れて暮らしていたし、親父は生まれる前に死んでるから、ばあさんに付き合って聴いてたね。

−−そうなんですね。

村松 そういった意味では、浪曲はばあさんを楽しませるための一つの道具みたいな感じだったね。

−−前田さんにしても、虎造さんはお父さんや藤原組長を喜ばせるためのアイテムだったのかもしれませんね。

村松 そういえば藤原喜明さんはウチのカミさんとおんなじ故郷でね。

−−あ、確か、岩手ですよね?

村松 岩手の和賀郡っていうところで。

−−奥様のご実家が旅館を経営されてるんですよね?

村松 カミさんのところはね。だからカミさんと組長はまったく同じ環境で育っていると言ってもいいわけ。

−−そうなんですね。

村松 僕が初めて猪木さんに会った頃に、どっか地方の巡業してるところにインタビューに行ったんだよね。確か2冊目の『当然、プロレスの味方です』の時。

−−巻末の「燃える哲学」ですよね。

村松 その時、旅館で朝飯を食ってる時に「ウチのカミさんと藤原さんは同じところの生まれで」なんて言ったら猪木さん、ビックリしちゃってね(笑)。

−−あはははは! 思いっきり同郷ですもんね。

村松 藤原さんのあのキャラクターは、モロに浪花節にかぶってる感じがするんだよね。風貌も声ね(笑)。


ページの一番上へ